絵を描くのは嫌いだ。図画工作や美術の時間に絵を描かされるのも大嫌いだったし、今も絵画など子供の落書きくらいしか描けない。

でも写真を撮るのは好きだ。一眼レフの基本操作くらいは知ってるし、フィルム現像もしたし印画紙焼き付けだってしてきた。

あるとき絵を描くことが得意な人から「写真は絵ではないよ」と言われた。超訳すると「絵を描くことが上で写真は下、もしくは芸術の土俵にすら上がってない。写真なんてだれでもできるし芸術でもなんでもない。」みたいな『見下げた』感じで。調べてると「写真は複製ができるから芸術じゃない」なんて意見もあるようで、じゃあ版画は? コンピュータグラフィックは? すべて芸術じゃないんですね、なおかついかがわしいポラ写真は複製が無いから芸術なのか。その方にとってはきっと。

そんなことがあってよいのか! 否、写真術が完成された経緯を知れば、写真は絵画の延長にあることがわかる。

超簡単に文章にすると、

1400年代の話。アリストテレスの時代からそうだったように、現実をありのままに書いた絵が良い絵だ。絵を現実ありのままに書きたいなと思う者多数。現実の対象をピンホール通せば暗い部屋の壁に映せる。それを写し取れば本物そっくりに描ける。この最先端ディバイス、カメラ・オブスクラなんて望遠鏡の世界でも有名なケプラーが名付けたらしい。レンズを使えば箱は小さく、画は鮮明になるからどこでも現実そっくり絵が描けるし。今でこそトレスなんて言い方があるけど、フェルメールだってそうしたらしいよ。これありのままの風景を簡単に残したいってうスナップ写真と感覚的には同じだし。もう、映った絵を写し取るんじゃなくて、なんとかしてその絵が自動的に紙に記録できるようにすればいいんじゃね? ということで、絵を写し取りたくないがためにたゆまぬ努力を行う人類。1800年代、写真術ほぼ完成!!

時代は少し流れて1800年代後半、写実主義は写真で完成された!絵画は写真とは異なるべき!なんていいだした保守派層(要するに写真に職を奪われたやつら)が現れた。これがのちの印象派である。

人類の「絵をありのままに描きたい」という数百年にわたる衝動の結実が現代の写真である。写真は絵とは違うんだよ、芸術とは、、なんて云うのはナンセンス。写真が写真そのものだけでなく、その後の絵画に与えた影響は計り知れない。

とにかく成り立ちという一側面から見る場合、写真は絵を描く技法の一つにすぎない。チラシの裏にクレヨンで描くか、画用紙に鉛筆で描くか、印画紙に光で描くか、手段として並列の選択肢だと思う。

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