大学の講師の1名を除いて信頼できる人に出会えた経験がない。

個人的主観では少なくとも高等教育までの間には良いと思える人格者はいなかった。ざっと思い出して小学校から高校まで担任に限っても10人以上見てきたわけで、「たまたま悪い人ばっかりに当たった」なんて確率ではないと思う。「大半は信頼できない人たちで、相性のいい人もたまに居る」くらいが妥当な気がする。

一番ひどいと感じたのは小学校5年、6年のクラス担任と別のクラス担任。自分の指示のまずさから生徒が期待どおりに動かんかったものだから、人の言うことも聞かず、ぶった挙句に全クラスの前でさらし者に。もう少し具体的に言うと、何をするかも指定せず特定の人を一方的に指名して、「昼に体育館へ行け」とだけ指示して、訳も分からず体育館で待っていたら 別のクラス担任が「何サボっとる」とかいって背後からいきなり平手で頭を思いきりなぐってきた。そこで何かの手伝いをしろってことだったらしいが、作業自体は体育館の裏手で行われており指示無しに把握できるはずもなく。 手伝いはしたにもかかわらず、その後こちらの言い分も聞かずクラス担任は 「こいつらは何もせずサボっていた」といってクラスの前で再度さらし者。

ちなみにぶった教諭は今はどこかの小学校の校長になっているらしい。風の噂では相変わらずのゴーイングマイウェイだそうで。小学校の先生なんて所詮その程度のものだった。それにこれは単なる一例でしかない。単なる一例でしかないが、六年間でたいがいだなと思ったのはこの二人に限らないし、そんな教諭達など尊敬のソの字にも値しないとその時悟った。もう何十年も前のことで覚えていないだろうし、覚えててもそういうことだったとは認めないだろうな。しかし自分ははっきりと覚えているし、一生忘れないと思う。

今も学校という空間に立ち入る必要が仕事などでごくたまにあるが、生徒たちが哀れだと思う状況が一度ならず見受けられるのだ。社会で幾度となく繰り返される事象にリンクを張ろうと思ったが見ていてバカバカしくなってきたので止めた。今考えたら学校という閉鎖社会は異様で異質なものにしか見えてこない。差こそあれ大局的に見たとき所詮その程度のものだ。

最近、生徒たちが下校した後のとある学校の職員室・校長室で教師たち(←複数形)のあきれる行動を目撃した。何があったかを安直に書くほどのバカではないので書かない。でもそういった行為をとる指導者の実態を知ったら威厳や尊敬など崩れるだろうな。教職とて所詮人間とはいえ、落胆したのと同時に自分の小学時代のモヤモヤは確信へと変わった。

なお、10年くらい前に提起した歴史科の知識は自己満足を除きそれを知らない人をバカにする以外の使い道が無いのかという疑問を晴らせる回答はいまだに得られていない。学校を出てから歴史について「そんなん知らん」「そんなんも知らんのか」「知らん」という不毛な3ウェイハンドシェイクしかしたことがない。

 

学校の先生って人たちは手放しで尊敬できる人の集団なのか?” への2件のフィードバック

  1. こういう話はよく聞きます。
    話をきく度に、自分はたまたま良い先生ばかりに当たって良かったなと思います。
    理不尽なことなど何一つありませんでした。

    1. こんにちは。
      生徒と先生はお互い人ですから合う合わないもあるとは思います。どういう人にあたるかは選べないので運しだいですね。先生とやらがほぼ100%の確率で尊敬できるような人たちの集団であれば、理不尽な思いをする生徒が確率的に減るのでそうなってほしいものです。

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